コンテンツ移行
Webで書き溜めていたコンテンツをここのBlogへ移行しようと思い立った。
ほら、HTMLをコツコツ書いてFTPでアップロードして・・・って面倒でしょ?
(最近はほとんど更新してなかったけど)
というわけで、第一弾として「年度代表馬」をBlog上に移行してみた。
移行作業中に気がついたこと。
「2004年度の年度代表馬をUPしてなかった」
・・・ダメダメじゃん。
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Webで書き溜めていたコンテンツをここのBlogへ移行しようと思い立った。
ほら、HTMLをコツコツ書いてFTPでアップロードして・・・って面倒でしょ?
(最近はほとんど更新してなかったけど)
というわけで、第一弾として「年度代表馬」をBlog上に移行してみた。
移行作業中に気がついたこと。
「2004年度の年度代表馬をUPしてなかった」
・・・ダメダメじゃん。
~この馬で 泣いた 笑った 損をした~
JRA賞として毎年、年度代表馬が発表されます。
しかし、それはあくまでも記者投票であり、必ずしも私の主観とは一致しません。
という訳で、ここでは私なりの年度代表馬を紹介します。
選考基準は、「とにかく私の印象に残る」これだけです。
当然選考委員は「穴場の魔術師」ただ一人。
G1を何勝とか、そんな事は関係ありません。
誰が何と言おうと、私にとっては以下の馬が年度代表馬です。
1992年 ヤマニングローバル
1993年 ウイニングチケット
1994年 ナイスネイチャ
1995年 ジェニュイン
1996年 ロゼカラー
1997年 ナリタキングオー
1998年 ヤシマジャパン
1999年 ボルジア
2000年 レガシーハンター
2001年 エイシンプレストン
2002年 エイシンプレストン
2003年 サクラプレジデント
サクラプレジデント
2003年4月5日、父が亡くなった。享年66歳。30年近く前、初めて私を競馬場に連れて行ってくれた父。そんな父が亡くなった。そして遺産を相続することになった。遺産が私の手元にやってきたのは5月の中旬。ということは、「遺産はダービーで勝負しろ」という父の遺言だろうと勝手に解釈した。そんな父の遺産をダービーで託したのがこの馬。「オヤジ、俺の生き様見とけよ」といいながら。
そんな我が親子の祈りが通じたかサクラプレジデントは最内枠から絶好のスタートを切った。絶好のスタート・・・そう、普通の馬ならば。しかしこの馬の場合これが仇となった。なまじ好発切ったら前が壁にならずに見事にかかった。4角ではもうバタバタ。オヤジ、すまん。あんたの遺産は一瞬で溶けちゃったよ。ま、そんな親不孝な息子に育てたのもオヤジなんだから自業自得だよな。
その後、この馬は札幌記念を強い競馬で勝つ。その強さをなぜダービーで見せてくれなかったのだ? ダービーでこんな競馬が出来ていたら亡き父も草葉の陰で喜んでくれたはずなのに。
エイシンプレストン
年度代表馬制定以来始めての2年連続受賞馬誕生となった。
2001年に世界を制したエイシンプレストン、2002年は中山記念から始動。得意(なはず)の中山で負けるはずはないと素直に本命にしたら5着。もちろん私の馬券は紙屑に。次走は香港へ遠征してのクイーンエリザベス2世カップ。アグネスデジタルとの日本馬ワンツーを決めて快勝。しかし私は香港まで行っていないので馬券買えず。この2頭で馬連12倍なら十分おいしいのだが。日本へ帰ってきたエイシンプレストン、次走は安田記念。本来府中は向いていないはずだが、そこは昨年度年度代表馬、力で何とかすると読んで本命に。しかしいくら府中でも4角殿からでは届かないだろうが福永よ・・・。
そして秋。府中が改修工事のために例年の東京開催がすべて中山へ振り替え。この時を待っていた。なにせ得意(なはず)の中山。当然毎日王冠も天皇賞も、あるいは出走すればJCだって有馬記念だって本命だと前年から決めていた。毎日王冠はマグナーテンの2着。もちろん本命だったがマグナーテンなんて買ってないよ。そして天皇賞。なにせ前年から本命にすると決めていたくらいだから気合入れて勝負。しかし4角で早々に手ごたえを失って馬群に沈んだ。ああ、私の諭吉が・・・。マイルCSは2着するもトウカイポイントなんて買ってないよ。
まぁいい。次は香港だ。私も気合十分で乗り込んだ沙田競馬場。昨年、今春と香港であれだけのパフォーマンス見せている馬だというのに2番人気。香港人はゴドルフィンの青い勝負服に騙されているようだ。ぐへへへへ。渾身の勝負をかける。しかし・・・。
福永よぉ、あの騎乗はないだろうよ。ゆったりした流れで後ろの仕掛け待ってタイミングを逸し、挙げ句前が壁になるわ外に出そうとして他の馬ふっ飛ばしちゃうわ。もうめちゃくちゃの5着。大量の香港ドルを失った。もちろん昨年と違ってフカヒレは食えなかった。
結局、この年この馬には一銭も稼がせてもらってない。昨年とは正反対だよなぁ。
エイシンプレストン
2001年は「痛恨の一撃」というのがあまりなく、どちらかといえばダラダラと負けて行った感じだったのでノミネート各馬も「取った」馬が並ぶこととなった。
エイシンプレストンに関しては、正直言って初めはこんなに強い馬だとは思っていなかった。斬れが生かせる展開になれば差して来るかもしれんな、という程度の評価でしかなかった。しかし毎日王冠を勝ったのを見たとき、「おっ、この馬かなり強くなっているんじゃないか?」と考えを改めた。そしてその後マイルCSでゼンノエルシドの2着した後に向かったのが香港マイル。
私も現地に乗り込んだ香港国際賽事。相性が良いはずの香港で一稼ぎしようと目論んだのだが、なぜか1000ドル札が溶けていく。負けるはずがない香港でどうして1000ドル札が溶けていくのか? おかしい。ついにポケットの中に1000ドル札が無くなってしまったという背水の陣で迎えた香港マイル。
ゼンノエルシドは単勝2倍の圧倒的1番人気だった。香港でも藤澤人気か?それに比べてエイシンプレストンは単勝24倍の6番人気。これはおいしい。どう考えてもおいしい。よだれ垂らしそうになりながらエイシンプレストンから買う。さて、ゼンノエルシドはどうしようか?元々気性おとなしい方ではないし、環境の変化も考えると単勝2倍に支持されるほどの馬とも思えず思い切って消し。その分の金で地元香港の電子麒麟との馬連を買い足した。
ゼンノエルシドが前々進んで、4角手前では早くも手応えを失う。そんな中、大外に見えたのは赤黒縦縞、お馴染みエイシンの勝負服。来たよ来たよ、エイシンプレストンが来たよ。「ふっくなが~!!!差せ!差してみろ!」鋭い差し脚だった。福永の仕掛けに応えてグンと伸びるエイシンプレストン。そして、エイシンプレストンのさらに外には相手本線の電子麒麟が。馬連44倍を大本線で的中。これで私の「香港不敗神話」も復活だ。またフカヒレ食っちまったよ。
レガシーハンター
「素質はG1級」・・・常にそう言い続けてきた。実際、斬れは極上のものがあった。しかしそれがどうしても馬券に結びつかない。年明け早々の京都金杯から早速プッシュ。以後ほとんどのレースで本命対抗級の印を打ち続ける。
しかも「週刊競馬情報」での予想ではその都度景気のいいコメントが並ぶ。「G1勝ってもおかしくない」「今年の注目馬」「素質はここでは断然」「今年のマイルCSを勝てる器」「こんなところで負けてる場合じゃない」「素質G1級」「黙ってレガシーハンター」「ただ一言『能力が違う』」・・・。これだけ書けば普通なら一度や二度は期待にこたえてくれても良さそうなものだ。しかしただの一度も連対しない。気がつけばマイルCSを勝つどころか賞金不足で出走すら出来ない。
そして11月の福島記念。小回り、荒れた馬場、どう考えてもこの馬が来るはずはなかった。満を持しての無印。しかしゴール直前大外から来た見覚えのある勝負服。来るはずのないレガシーハンターが2着に突っ込んで来たではないか。「おまえだけは一銭も要らないはずだったのに・・・」思わず卒倒。こうなったら最後にカウントダウンSで勝負してやる、と思ったら登録すらなし。最後まで肩透かしを食う形となった。
しかし何でこの馬をこんなにプッシュするようになったのか?記憶にある限り最初に本命を打ったのは1998年の京阪杯。そのときのコメントを見ると「ナイトシーカーあたりを一瞬にして葬り去った末脚は魅力的」と書いてある。ナイトシーカーを差したくらいで「素質G1級」とまで言っていたのか。なんか本質的に間違っているような気がしてきた。それにしてもどうして私が「素質G1級」とぶち上げた馬は出世しないのだろうか。
ボルジア
なにやらこの年度代表馬も国際的になってきた。
本年は最後までサンタフェトレイルとボルジアのどちらにするかで悩んだのだが、ここ数年痛い思いをした馬ばかり選んでいたので、ここらあたりでたまにはいい思いをした馬も選ぼうという選考委員(って私一人だけだが)の意図も働いたのでボルジアに栄冠が輝いた。
ジャパンカップで来日。フォア賞でエルコンドルパサーに差し返されはしたがコンマ1秒の競馬、ブリーダーズCで速い流れの競馬も経験済みということで本命に推すもいいところ全くなしの8着。ここで終わってしまえば単に痛い思いをしただけである。
話はまだ続く。ボルジアの次走は香港ヴァーズ。ボルジアを追いかけたわけではないが私も現地参戦していた。現地では人気は全くなかった。現地の新聞によると「在凱旋門大賽及育馬者盃草地大賽中均能[足包]入位置。其後状態回落」と紹介されているくらいだから人気もないのも肯ける。しかしその状態回落中もドバイWCやら凱旋門賞やらBCにJCとレベルの高いところで戦ってきたわけで、国際G2のここに入れば戦歴上位。思い切って勝負。レースは超スローペースから早めに押し上げたボルジア。鞍上はこの日2戦2勝のペリエ。「オリビエ~!差せ!」の私の声に応えて先頭に。後続が差を詰めてくる。「ペリエ!ペリエ!ペリエ!残せ残せ!ペリエ~~~!!!」沙田競馬場に詰め掛けた香港人や外国人も振り返る大声で叫んだら、見事にボルジア快勝。状態回落の馬を勝たせる、これが日本の馬券師の底力だ。
単勝が24倍、馬連は2着に人気薄ビンボラが突っ込んで220倍。3点買いできっちりと取った。意気揚々と払い戻しに向かう。払い戻しでは窓口の兄ちゃんが何やら「大口払い戻しリスト」みたいなのに記入している。気持ちいい。その後、払い戻しを受ける時になって事件発生。払戻窓口の現金が不足して、わざわざ奥から現金を補充してもらって払い戻しを受ける。窓口の現金が不足するほどの大勝利。
金は手にした。もう香港は私のものだ。歩いて15分の距離もタクシーで移動し、香港でもトップクラスの高級広東料理店では値段も見ずに単品でバンバン注文し、メニューにないエビチリまで作ってもらい、フカヒレを口いっぱいに頬張り、締めをヤキソバにするか炒飯にするか迷ったら悩むのも面倒くさいからと両方頼み、マンゴープリンまでしっかり食べた。もう腹がちぎれるんじゃないかと思うくらい腹いっぱいになった。佐々木夫妻、本場の広東料理は美味しかったかい?人にものをおごるのは本当に気持ちいい。帰りの香港国際空港では免税店でFerragamoのネクタイまで買ってしまった。香港人よ、日本の勝負師をナメたらいかんぜよ。思い知ったか。これが日本のバクチ打ちの実力だ。
ヤシマジャパン
そのきっかけは夏の函館、函館スプリントステークスだった。前2走が京王杯SC8着、高松宮記念15着と言うこともあり、ここは人気を落としていた。だがしかし、京王杯以前はデビュー以来掲示板を外したことがなかったし、オープン特別では常に堅実駆けしていた。馬体重も8キロ絞ってきたし、G3で相手弱化すれば当然狙い頃と思って勝負したら9着。
まあ、そこまではよくある話だ。ヤシマジャパンの次走は札幌日刊スポーツ杯。最内枠引いて、前付けすればもう勝負付は済んでしまうようなメンバー構成。馬体重は4キロ増えて496キロ。人気は相変らずなかったが、当然私は本命。まあ差しに回るなら差しでいいんだけど・・・と思ったら、スタート後手踏んで、馬群に揉まれて最後差してきたものの3着。
ここまで来たらもう引っ込みがつかない。さらに次走キーンランドカップ。ここで、私が「週刊競馬情報」に掲載した予想文を紹介する。
もうこうなったら私とヤシマジャパンのコンクラーベだ。なんのこっちゃ。とにかくヤシマジャパン。今度こそ何とかしてくれ。この夏最後のお願いだ。今ならまだお前に投じた分の金は取り返せる。乗り替わりの幹夫、頼むよ。ホンマに。さて相手はこちらも再度狙うシャドウクリーク。2回叩いて今度こそ。うーん、なんか予想じゃないかもしれん・・・。今見ると何だか痛々しい。それでも、「こここそ勝負駆け!!」と色めき立って穴場に金を突っ込む。勝春から幹夫に乗り変わってさあ勝負!!スタート一発は決めた。ところが、そこからあとは下がるだけの5着。ここに来てようやく私も観念した。もうあきらめた。気がつけば、「この夏つぎ込んだ馬第1位」の称号を与えるまでつぎ込んでしまった。でももうおしまい。ここに至ってようやく「もうヤシマジャパンは買わない」ことを固く誓った。 時は過ぎて11月。ヤシマジャパンは京都のドンカスターSに出走してきた。夏を過ぎ、ちょっとは賢くなった私はヤシマジャパンなど目もくれない。しかし・・・「夏よりも馬体絞れて状態よくなった(松永幹夫談)」ヤシマジャパン、ここを楽勝。私の体の中の血がすべて頭に上ったかのように大噴火。松山先生、なぜ夏のうちに馬体を絞らんのだ? そして何より問題は、この馬がきっかけとなったか、私と松山厩舎の相性が最悪になってしまったのだ。クロカミとかも結構買ったんだけどなぁ。思えばジェニュインの頃から相性よくなかったのかもしれん。 でもヤシマジャパンの次走摩耶S、馬体重+16キロのブクブクの馬体で惨敗したのには笑ったなぁ。松山先生、馬体重は計りましょう。
ナリタキングオー
こんな馬を年度代表馬に選ぶなんて人は、日本中でも5人はいないはずだ。
ではなぜナリタキングオーが年度代表馬になったか。それはもう宝塚記念に尽きる。このレース、マーベラスサンデー、タイキブリザード、バブルガムフェローが上位人気。ほぼこの3頭で間違いないといわれていた。そういうときほど燃えるのが穴党の血。状態最高といわれていたナリタキングオーに堂々と(恥ずかしげもなく、と言ったほうがいいのか?)◎を打っていた。私と相性の悪いSケイスポーツのM戸記者と本命が重なったのは気になったのだが。
横浜からわざわざ仁川まで駆けつけて見たこのレース、福永キングオーは先団につけている。いっそのこと逃げてみて欲しかったのだが・・・。まあそれはいい。2コーナーを回って向正面流し、福永の手が動く。「はぁ?福永、なにやっとるんじゃあ?」、そう思った瞬間・・・キングオーが一気にタレた。ものすごいタレっぷり。まさに逆噴射だ。キングオーがバックしているのかと思ったよ。穴党の常として狙いが外れたときには4コーナー手前でレースが終わる、ということはよくある。あるいは出遅れなどでゲートが開いた直後に終わることもたまにある。しかし、向正面で終わるというのはそうそうあることではない。それからゴールまでの1分間、長かった。「仁川まで来てなにやってるんだろう」後悔したよ。追い討ちをかけるように、その日はノーホーラ。1997年の365日の中でももっともインパクトのあった一日だね。
ロゼカラー
1996年 ロゼカラー
この年、4歳牝馬路線は熱かった。春はクラシックはエアグルーヴ、マル外ではファビラスラフインがその中心にいた。世間一般では。私の中ではあくまでもロゼカラーが中心だったが。オークスはエアグルーヴがあっさりと持って行き、新設されたマイルカップではファビラスラフインは馬群に沈んだ。
そんな状況で迎えた秋華賞。こちらも新設G1だ。もちろん人気はオークス馬エアグルーヴ。1.7倍の圧倒的一番人気。しかし私は一番人気はとりあえず疑ってかかるタイプ。ここはロゼカラーから入った。相手はエリモシック、ファビラスラフイン、その他数頭。この日はどうしても外せない用事があって、あらかじめ馬券を買っておいて、用事が済んですぐ横浜場外に走った。中に入ったその瞬間見たものは、松永幹夫の勝利インタビュー。「ああ、ファビラスかぁ。よし、 2着がロゼカラーなら万シュウ。200 倍はつけてたよなぁ。エアグルーヴはちゃんと飛んだだろうなぁ。でももしロゼカラー3着だったら悔しいなぁ。ましてその上に2着がエリモシックだったりした日には・・・」とりあえず、着順が出ているモニターを探した。しばらく探し回って見つけたそのモニターに出ていたものは・・・
京都10R 第1回 秋華賞
1 7 15 ファビラスラフイン 1.58.1
2 6 11 エリモシック 1 1/2
3 5 10 ロゼカラー 1/2単勝 15 1880 複勝 15 690
11 390
10 590
枠連 6-7 2250
馬連 11-15 15500
ぐおぉぉぉぉぉぉぉぉ。やってもうたぁ。痛恨のタテ目&1着-3着&2着-3着。激アツ。今思い出しても悔し涙が出てくる。1/2馬身差で百万円が吹っ飛んだ。一瞬タテ目も押さえようかと思ったんだけど・・・。馬券買いに行った横浜場外は500円単位の発売だったので、ためらってしまった。200倍の馬券に 5000円突っ込める奴がタテ目の500円をケチる、全くわからん。変な奴だ。度胸だけはあったが知性が足りなかったようだ。
ジェニュイン
この年の年度代表馬争いは混戦だった。ダービー馬タヤスツヨシも捨て難いが、インパクトの差でジェニュインに。皐月賞、ダービーとこの馬にはお世話になった。但し両方とも本命はタヤスツヨシだったが。年度代表馬の決め手になったのはクリスマスイヴ決戦となった有馬記念。ヒシアマゾン、マヤノトップガン、ジェニュイン。この3頭でまず間違いないというレース。冬の中山、北風が強い日だった。この北風が私に災いをもたらすなんて思いもしなかったが。
レースはマヤノトップガンが見事な逃げ切り勝ちを収めたが、来るはずのジェニュインが来ない。直線全く伸びなかった。「やっぱり距離かな・・・」と思っていたら、翌日知った鞍上岡部のコメントが凄かった。一生忘れることはないであろうコメント。「風が強く、馬がやる気をなくしてしまった」はぁ?そんなコメント聞いたことがないぞ。やる気をなくしたのはジェニュインじゃなくて岡部、お前じゃないのか?そんなことはないか。これ以降、ジェニュインの出走するレースでは常に風を気にしなければならなくなった。「今日の風ならジェニュインは大丈夫」「今日は北の風6メートル・・・ジェニュインは消しだな」という具合に。
コメントといえば、有馬記念を勝った田原、勝利ジョッキーインタビューで「ファンの皆様に一言どうぞ」といわれて、「メリークリスマス!」ちくしょう、こちらはほんの数分前にすべてを失ったばかりなのに。しかも北風のせいで風邪引いたぞ。クリスマスなんて・・・。
ナイスネイチャ
ご存知3着王。前年の有馬記念で「3年連続3着」という大記録を達成したナイスネイチャ。
4 歳鳴尾記念以来、堅実に走ってはいたが未勝利。この時点でこの馬ももう7歳、「そろそろ勝たせてやりたい」の思いは日に日に高まっていった。そんなナイスネイチャが出てきた高松宮杯。今でこそ芝千二のG1だが、当時は芝二千のG2。一番人気は前年のダービー馬であり年度代表馬でもあるウイニングチケット。スターバレリーナも出ていて、この2頭の馬連が人気の中心。そこであえてナイスネイチャの軸で勝負した。今思えば、なんで本命に出来たのだろうか。度胸あるなぁ。
平坦の中京の直線を抜け出してきたとき、感動というか何というか、微妙な感情が私の中を通り過ぎていった。「ナイスネイチャが勝っていいのか?」そんな感じである。自分が本命にしているのに(笑)。
この一戦は馬券は取ったが、それまでナイスネイチャにぶち込んだ金額を考えれば到底この一戦だけで取り戻せるものではない。しかしそれにしても、今までの苦難の道のり(私の馬券の、ね)を思い浮かべたとき、感慨深いものがあった。6歳時なんかもうヤケクソでナイスネイチャの単勝買い続けていたからなぁ。その自分自身への思いも込めて、ナイスネイチャ、年度代表馬。
ウイニングチケット
ご存知第60代日本ダービー馬。この年は比較的まともな年度代表馬だな。
これはもはや説明の必要はない。柴田政人にダービーを取らせた、この一点だけで年度代表馬はおろか殿堂入りの価値はある。あくまでも私の中での基準だが。
政人が初めて1番人気の馬に乗って迎えた東京優駿。もはや説明の必要はあるまい。見事だった。岡部、武の追撃を振り切って栄光のゴールへ。このダービーは一点買いで取った。自己破産や夜逃げまで考えていたこの頃の私にとって、7.2倍の配当とはいえこれを一点で取ったことで苦境から甦ったのだ。ありがとう政人。今こうしてバクチが打てるのも、みんな政人様のおかげです。でもその後、菊花賞、JC、有馬記念と買い続けたが、そこでは結果が出せなかった。有馬記念など、4角手前で終わってしまい、「奇跡の復活」トウカイテイオーが直線抜け出すところなどは実に冷めた目で見ていたものだった。
次点にはマックスジョリー。この馬にも触れておきたい。
桜花賞、オークスと続けて本命に推して3着、3着。べガ-ユキノビジンに割って入ることは出来なかった。こちらも鞍上は柴田政人だったなぁ。私が愛した3人の女のうちの一人でもあるマックスジョリー。その仔に期待したかったのだが・・・。
ヤマニングローバル
1992年11月1日、第106回天皇賞(秋)単勝2.4倍の一番人気はトウカイテイオー。
しかし、私にはどうしても調整不足に思えた。「これは絶好のカモだ」こういう「カモ」を見つけると嬉しくなってしまう(結果的にトウカイテイオーが8着に敗れたから「カモ」だったと言えるのだが)。で、そうなれば勝つのはナイスネイチャだと思ったし、相手はヤマニングローバル。押えにレッツゴーターキンとムービースター。ハイペースになるのは読んでいた。差し、追込みの馬が圧倒的に有利だろう、ということで、この4頭で勝負した。
ただ、ここで致命的な過ちを犯した。このレースの結果はご存知の方がほとんどだろうが、上記4頭を素直にボックスにしていれば取れた。ただ、悲しいかな当時はボックス用のマークシートというのがなかった。しかも一枚の馬券で買えるのは5点まで。常に「馬券の美学」を追求する私としては、4頭ボックスの6点買いで、最後の一点だけもう一枚の馬券に分かれてしまうのが嫌だった。仕方なく5点にする。もうお気づきだろう。レッツゴーターキン-ムービースターの組み合わせだけ切ってしまったのだ。ああ、何たるバクチ下手。しかも、この4頭で府中の坂を上がってきて、気分はもう「取ったぁ~」てなものだったのが、一瞬にして奈落の底へ。どれがきても高配当だったのに。
さらに話は続く。ヤマニングローバルの次走はジャパンカップ。天皇賞であわやのシーンを見せた馬、JCは毎年ハイペースの流れは必至、JCでも当然勝負になると見て本命に。結果は言うまでもない。この2走だけでどれだけの福沢さんが私にさよならを言ったか。
親にはよく「お金は大切にしなさい」と言われたんだけどなぁ。
明けましておめでとうございます。
正月はTVを見ていてもつまらんので、DVDを借りてきて見ていた。
映画で見る限り、香港の警察ってカンフーを使うか黒社会とつながっているかのどっちかしかない。
大丈夫なのか香港は?<だから映画だってば
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